New1TR’s blog

太極拳の事について書こうと思います。

410)内三合・意気勁・精気神

太極拳には、内三合・意気勁・精気神と言う言葉が有るが、そこに出て来る単語、はどれも実体がない為、理解するのは困難だ。多分感覚として理解するしかないのだろう。

正しく表現出来るかどうか不安もあるが、今迄の自分の理解を言葉にしてみよう。

内三合とは、雑念も迷いも捨て意を決して、一心不乱に動こうと欲すれば、肚が座ってエネルギーが沸き上がり、そのエネルギーが勁力を生み、勁力に基づいた動きが出来るので、その様に努力しなさいと言う事。

内三合の三は、意気勁の事で、太極拳の技はこの三つが順番に活性する事で威力を発揮すると言う事。動こうとする時に、脳から出る指令がであり、気/勁は、それ迄に修得しているものが使われる。

動こうとするその瞬間に自分に出来る事は、心・意識・感情・気持ちと言った内側の一切を1つの目的に向かわせて、意の質を向上させる事だけである。意識が散漫だと意の質は落ち、意が無ければ技の威力も無くなる。

気/勁は、それまでの修練がものを言う。站椿功を溜めたり、推手上虚下実を追求したり、より一層の放鬆を追求し、重心位置を操作する能力を磨き、勁力を高めるべく、練習しておく事が大切なのだ。勁力とは、筋力に頼らずに身体を伸ばす/張る/重心移動する力の事だと思う。

精気神について言うと、は身体はエネルギーは集中する事であり、集中するとは、心に雑念/迷いがなく一心不乱になる事=心と意(意思)が一致した状態になる事。心が選択した思いを意が受け取って、丹田に蓄えられた気のエネルギーを揺り動かし、そのエネルギーが源となって勁力が生み出され、その勁力で身体を動かすと言う事。

 

勝手な解釈になって居るかもしれないが、現在の私の理解である。やっぱり表現するのは難しい。

 

日本語の「心意気」は、物事に取り組もうとする気持ちの事ですが、太極拳では、心と意と気を、別々のものとして扱っているのが興味深いです。
心は、こうしたいという思いとか感情の事で、色々な欲望や雑念も含んでいる。
意は、脳から身体への号令/指令。色んな思いの中から選択し決定しされた指令。
気は、脳からの指令を受け、丹田から発出するエネルギー。勁力を生む源。
神は、心と意が一体となった状態。ゾーンに入った状態、一心不乱の状態。
心と意が一体化してないと、気が散った、気のない、気が入っていない、状態になる。